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My Hakone Time by 天悠

詩人・菅原 敏の箱根を舞台にした書き下ろし小説 「湯船に乗って」後編
詩人・菅原 敏の
箱根を舞台にした書き下ろし小説
「湯船に乗って」後編

舞台は2028年。

結婚して10年を迎えた二人が向かったのは

かつて一度訪れた、あの箱根の温泉だった。

少し未来の夫婦のかたちとは?

同じ1日で起きた出来事が、

夫からの視点で描かれた前編、

そして妻の視点で描かれる後編。

 

国内外での朗読公演や、昨年出版された

『かのひと 超訳世界恋愛詩集』でも話題を集める

異色の現代詩人・菅原 敏が描き出す、

せつない夫婦のラブストーリー。

 

>>前編はこちらから<<

文・菅原 敏

イラスト・江夏潤一

タイムラインの化石たち

私と夫の関係は、今、薬の上で成り立っている。

 

恋愛感情の賞味期限は3年だと科学的に証明されたのはもう何年前だろうか。

人が恋に落ちている時に脳内から分泌されているホルモンはPEA(フェニルエチルアミン)と呼ばれており、

この脳内物質の分泌は同一のパートナーの場合、およそ3年ほどで打ち止めになってしまうというものだ。

これらの事実が広く普及することによって私たちの国でも恋愛観や結婚観は徐々に変わってきたし、これまでに人類が書き残してきた多くの恋愛小説や、

様々な男女間のもつれなどが、3年という物差しで測り直されることにも発展した。

 

私たち夫婦も付き合ってから3年、結婚して2年目に病院へ行き、このPEAをコンスタントに分泌させるための薬を処方してもらうこととなった。

ただしこの薬には副作用があった。

飲み進めていくほどに、私たちは昔の恋の記憶を少しずつなくしてしまうというものだ。

「初恋の記憶を捨てても、今の生活を仲睦まじく過ごしたい」そんな覚悟と共に錠剤を飲み込むこと。

海外では結婚という制度が消滅した国もあったし、未婚のまま子を持つ親も世界中で増えていた。

薬に頼ってまで結婚生活を円滑に続けようとすること自体ナンセンスだと思うのだが、なぜか私も含めてこの国ではそういった薬に頼る夫婦が多かった。

なぜ結婚するのか。なぜ私たちは結婚したのだろうか。

 

薬がどの程度効いているのか分からない。

結婚から10年経った今も、私は彼を心から愛しているし、これからも寄り添っていきたいと思っている。

ただ、私にとっては彼が最初の恋であり、薬を飲むほどに、彼との出会いの記憶は薄れてゆき、

今では「はて、どうして私はこの人と出会い、恋に落ちたのだろう?」と途方に暮れてしまうことが増えてきた。

 

そんなとき、私はFacebookやらInstagramやらのSNSの地層を少しずつ掘り返していく。

そこには私たちが旅してきた道のりが、化石のように散らばっている。

夫と出会ったばかりの頃の私がタイムラインで微笑んでいるのだけれど、私には当時の思いを蘇らせることはできない。

どんな場所へ行き、どんな日を過ごしたのか。思い出が剥がれ落ちているSNSの写真は、もはや乾いた情報でしかなくなってしまった。

私は頬杖をつきながら、若い二人の笑顔をぼんやりと眺めている。

挿入イラスト)詩人・菅原敏の箱根を舞台にした書き下ろし小説「湯船に乗って」後編|My Hakone Time by 天悠

過去を取り戻す方法

愛しているのに、その始まりを知らないということが、これほど辛いことだとは思っていなかった。

なくした過去を取り戻す方法を調べているうちに、薬をやめれば多少は記憶は戻ってくること、

そしてすべてが取り戻せるわけではないことも分かってきた。

もちろんその副作用を重々承知で飲んできたのだが、何かしら方法はないものかと調べているうちに、この温泉宿のことを知った。

記憶にはなかったが、先日タイムラインを遡っていた時に出ていた宿だった。

 

10年前に私たちが訪れたあの宿。

もちろんその効果が科学的に証明されているわけでもなく、宿側がアナウンスを出しているわけでもない。

それでも私はその宿にもう一度行ってみたいと思った。

すでに今年の旅行についてはいくつかの候補を決めていたので、私が天悠に行きたいと伝えると、

夫は「え?」と驚いて、しばしキョトンとしていたが

「そうだね、確かにいい宿だったよね。10年の節目だし行ってみようか」と賛成してくれた。

 

神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1297、箱根小涌園 天悠。

二人で車に乗り込んで、行き先を告げる。東京からおよそ1時間。

「私たちが一緒にいる理由すら、このままでは失ってしまう」

そんな思いが日に日に強くなっていくのを感じていた私は、家を出る時にそっと彼のカバンから二人分の錠剤を抜いてきた。

もうこれ以上、過去を失っていくことに耐えることはできない。

私はいつものように本を開きながらも物語に集中することはできず、そんなことばかりを考えていた。

夫は助手席でぼんやりと窓の外を眺めている。

 

敷地に足を踏み入れても、何ひとつ思い出せることはなかったが、心地良いおもてなしが、どこかしら懐かしく感じられた。

きっと10年前の私も、同じような心地よさを感じながらこの宿に身を委ねたのだろう。

客室に案内してもらうと、壁一面の窓から望む箱根の雄大な景色が私たちを迎えてくれた。

その開放感と、美しく整った和室の部屋。窓の外には見晴らしのいい展望風呂。私は真っ先にお湯を張った。

私の育った家には和室はなかったし、家族で温泉に行った記憶もない。

それでも、こんなにも心奪われるのは何故なのだろう。体のどこかで覚えているせいなのだろうか。

 

私たちは荷物を降ろし、お茶を入れた。くつろいだ時間を過ごしつつも、まもなく16時がやってくる。

いつも私たちが薬を飲む時間だ。

薬がないことに気づいた夫は半ばパニックのような様相でカバンやらポケットやら車の中を探し回り、フロントへ電話までかけて問い合わせをしている。

「まあ、一日くらい無くたっていいじゃない」と私は夫をたしなめて景色を眺めた。早く湯に浸かって、確かめてみたかった。

私は何を思い出すのだろう。

 

「ほら、夕暮れを楽しみながら露天に入ろうよ。部屋にある露天って、どうしてこんなに嬉しいのかしら」

落ち着きのない夫を横目に、私は素知らぬ顔をして湯船の中に身を沈めた。薬を諦めた夫も渋々と湯船に入ってきた。

箱根をぐるりと囲む外輪山を眺めながら、湯船は過去へとゆらゆら漕ぎだして、私は静かにすべてを思い出していた。

Aと私

夫の前の恋人、Aは私の古い友人だった。

中高一貫の学校で6年間を共に美術部で過ごし、それぞれ東京の大学へ進学した後も、年に数回は近況報告を兼ねて美術部の面々で集まったりもしていた。

当時Aから彼の、つまり夫の話を聞くことも多かった。

彼女に比べて随分と子供っぽい人と付き合っているんだなという印象で、就職せずに好きなことを続け、いつかそれで食べていくことを夢見ている。

 

 

二人で飲みにいっても財布を持っておらず、大抵はAの支払いであり「いつも金欠だから二人で旅行に行ったことなんて一度もないの」とAはぼやいていた。

夕飯を作って待っていても「あと一時間で帰る」という連絡が何度も来ては、結局ベロベロに酔っぱらって朝帰りだとか、ろくな話を聞かなかったし、

なぜAが彼と付き合っているのか不思議でもあった。とはいえ、そんな暮らしを楽しんでいるようでもあった。

 

学生時代から華やかで社交的だったA。いつも裏方へと回り、黙々と一人で作業するのが好きだった私とは正反対だった。

いくつかの会社を渡り歩いた後、当時の上司が起業する際に引き抜かれることになったという話を人づてに聞いたのが最後で、

他の学生時代の友人たちも彼女とは連絡が取れなくなっていた。

Aと夫が何故別れたのか私は今も知らないし、夫に尋ねるつもりもない。

私が彼と付き合いだしたこともAに伝えなかった。私から彼女に連絡することはできなかった。

 

ただ、いつでも彼らの過ごした8年という歳月が重々しい熊のように私の背中にのしかかっていた。

二人はどんな日々を過ごし、どんな約束を交わしていたのだろうか。

 

だから私は薬を飲むことを承知した。夫の中からAとの日々を消してほしい、青春時代そのものとも言える20代の8年間の記憶を消して欲しかったから。

たくさん忘れて、たくさん私との思い出を積み重ねて欲しかった。彼が今まで旅をしてこなかったから、私は彼をどこへでも連れ出した。

彼の仕事も徐々に軌道に乗っていたし、私たちはいつも気ままに乗り物に乗り、多くの旅を重ねて来た。

国内の小さな旅のこともあれば、砂漠の真ん中、銀色の猿が吠える熱帯、

土着品種のワインが美味しい小国、陽の沈まない白夜の国で数週間を過ごしたこともあった。

「一生バカンスだね」と彼が言った言葉を、私は今も大切に胸にしまっている。

 

連絡は途絶えたものの、私は彼女のSNSのサブアカウントを時折こっそりとのぞいていた。Aは仕事はやめて実家に戻り、地元で過ごしているようだった。

ぽつぽつと投稿される年に数回の写真は、川の流れ、庭の木々、食卓の花などで、言葉は添えられていなかった。

「ああ、あの庭の花が咲いたんだな」「今年はもう赤い実がなったのか」と彼女の四季とともに過ごす生活を何年か追っていたのだが、

あるとき病院の窓辺からの写真を最後に更新は止まり、私は何も確かめることができず、今でも時折そのページを訪れる。

どこかしら祈るような、告解の儀式のような、そんな気持ちで私は彼女の撮った写真を眺めている。

湯船に乗って

神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1297、箱根小涌園 天悠。

一人で車に乗り込んで、行き先を告げる。

「今日は毎年恒例の箱根ですか?」

「そうよ、安全運転でよろしくね。一人で行くのは今年で何年目かしら」

「今年で5年目になりますよ」

 

2078年。いまでは希少となったボロボロの本を何冊か携えて箱根へと向かっている。

現在の本屋はさながら薬屋のようで、色とりどりのカプセルや錠剤がずらりと並んでいる。

薬剤師のように白衣の書店員はピンセットで器用にカプセルをつまみ、処方してくれる。

一粒の錠剤になった一冊の詩集をごくりと飲み込めば、あっという間に詩情が体を満たし、言葉の列車が静脈を駆け巡る。

飲み合わせに気をつけながら、人々は物語の錠剤を飲み込み、体で文字をなぞっていた。

 

私はといえば相変わらず古びた本のページをめくりながら、今年もあの宿に泊まれることに感謝していた。

いま私は88歳。

体のあちこちには人工関節が入っているし、常に心臓のペースメーカーから送られる情報を腕時計で確認しているが、いたって元気だ。

私たち夫婦に子供はいなかったが、あれやこれやの家事はすべてお手伝いさんが1日数十分の充電でまかなってくれている。

 

車は静かに天悠の敷地に滑り込んだ。

初めて訪れてから実に60年という歳月が流れているが、笑顔で迎えてくれる心地良いおもてなしや、季節のお料理、露天風呂からの雄大な景色は何ひとつ変わっていない。

夫はいつも「ここは誰にも教えたくない」と言っていた。そんな秘密の場所が、いまもこうして迎えてくれる。

私たちを取り巻く環境は目まぐるしく変わっていくけれど、変わらないものも確かにあるのだと教えてくれる。

 

夫は「あの湯船に乗れば、いつでも会えるのだから寂しくないよ」と言っていた。

 

あの日と変わらぬ気持ちで私はお湯に浸かり、変わらぬ山々の景色を眺める。

始まったばかりの外輪山の紅葉、山肌を泳ぐトンボたち。

 

湯船はゆっくりと岸を離れて、歳月の水面(みなも)へと静かに漕ぎ出していく。

「一年ぶりね」

私たちは湯の中で手を繋ぎ、あの日の風景の中をたゆたう。

湯船に乗って。

 

<おわり>

菅原 敏さん

すがわら・びん。詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。執筆活動を軸に、異業種とのコラボレーション、ラジオやテレビでの朗読、デパートの館内放送ジャック、ヨーロッパやロシアでの海外公演など広く詩を表現。 Superflyへの歌詞提供、東京藝術大学大学院との共同プロジェクト、美術家とのインスタレーションなど、音楽や美術との接点も多い。 現在は雑誌「BRUTUS」他で連載。2017年7月に新詩集『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)を上梓。

 

Twitter  https://twitter.com/sugawara_bin/
インスタグラム https://www.instagram.com/sugawarabin/

江夏 潤一さん

こうか・じゅんいち。イラストレーター、アーティスト。1979年、鹿児島生まれ。鹿児島在住。&Premium、FIne、リンネル、山と渓谷など雑誌の仕事を中心に、冊子や広告、ツアーグッズやWEB、雑貨へのイラストなど、さまざまなジャンルで活躍中。

 

インスタグラム https://www.instagram.com/kokajunichi/
ホームページ http://junichikoka.com

 
物語の舞台の宿
「箱根小涌園 天悠」。

物語の舞台となった箱根の宿は、2017年4月20日に開業した「箱根小涌園 天悠」。

箱根の“自然”と“和”のおもてなしをコンセプトにした宿で、非日常感を味わうことができます。絶景の大浴場露天風呂や各部屋に設置されたかけ流し温泉の露天風呂など温泉地ならではのしつらえのほか、スパも併設。箱根の旅を助けるコンシェルジュが応対する、丁寧な接客も魅力です。

箱根小涌園 天悠(てんゆう)
住所 神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1297
http://www.ten-yu.com/

※すべての情報は2018年10月1日時点のものです

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